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京都地方裁判所 昭和45年(わ)152号 判決 1979年3月07日

本籍

石川県輪島市鳳至上町一三一番地

住居

東京都杉並区西荻南三丁目三番三号

会社役員

正村孝司

昭和六年四月二七日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は検察官矢野収蔵出席のうえ審理して、次のとおり判決する。

主文

被告人は、無罪。

理由

一  本件公訴事実は、

被告人は、京都市北区北野四白梅町八番地白梅園住宅に居住し、立石電機株式会社に財務部次長として勤務するかたわら、オムロ産業株式会社外数社の取締役を兼務するとともに、株券など有価証券の売買をなしていたものであるが、所得税を免れようと企て、

第一  昭和四一年中における総所得金額は二、九五三万七、〇九八円で、これに対する所得税額は、納付済源泉所得税額一二万六、九七〇円を差引いた一四八六万六、〇〇〇円であつたにも拘らず、株券など有価証券を他人名義で売買し、これによつて得た利益を架空名義で預金するなどして所得を秘匿したうえ、昭和四二年二月十七日、所轄の上京税務署において、同署長に対し、総所得金額は一五四万一、六六〇円で、これに対する所得税額は、右納付済源泉所得税額を差引いた三万四、六〇〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、もつて不正の行為により一四八三万一、四〇〇円の所得税をほ脱し、

第二  昭和四二年中における総所得金額は一億二九五〇万三、二三八円で、これに対する所得税額は、納付済源泉所得税額一七万四、六七五円を差引いた八七三二万六、六〇〇円であつたにも拘らず、右同様の方法により所得を秘匿したうえ、昭和四三年三月一三日、右税務署において、同署長に対し、総所得金額は二七六万〇、九三一円で、これに対する所得税額は納付済源泉所得税額一九万四、六七九円を差引いた二八万四、五〇〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、もつて不正の行為により八七〇四万二、一〇〇円の所得税をほ脱し

たものであるというものである。

二  然るところ、被告人が、昭和四〇年に立石電機株式会社(以下立石電機という。)に入社し、その後、関連会社であるオムロ産業株式会社等五社の取締役も兼ねるようになり、昭和四一年中給与所得として一五四万一六六〇円、昭和四二年中給与所得一九八万四、五三一円及び譲渡所得七七万六、四〇〇円合計二七六万〇、九三一円の所得を得、それらを総所得金額であるとしていずれも法定の期間内に所轄税務署長に対し確定申告書を提出したこと、一方被告人は右各期間内に被告人本人名義の外、堀江香代、石田美代、正村芳昭、正村芳訓堀江喜美(きみ、キミ)、山岸和雄、木下享、山北弘らの他人名義を用いて株式等有価証券売買を行い、いずれも多額の利益を得て、それらの取引がすべて被告人個人に帰属するものとすると被告人の当該年中の総所得金額は公訴事実記載のとおり、昭和四一年中二九五三万七〇九八円、昭和四二年中一億二九五〇万三二三八円となること、そして被告人の行つた前記有価証券売買の回数が五〇回以上であり、かつ売買株数又は口数の合計が二〇万株以上であつて、有価証券の売買による所得が課税所得とされるための要件(所得税法施行令二六条二項)を十分満たしていること、以上の各事実(すなわち、本件公訴事実中所得の帰属の点を除いたその余の骨子となる事実)は、被告人の検察官(五通)に対する供述調書、大蔵事務官作成の被告人に対する質問てん末書一五通、第三ないし五回公判調書中証人嶋田権太郎の供述部分、第六ないし一二回公判調書中の証人寺石昭二の供述部分、第一四回公判調書中証人茶谷津奈男の供述部分、第一五回公判調書中証人榊原義雄の供述部分、第一六回公判調書中証人梅木安義の供述部分、第一七回公判調書中証人山北弘志の供述部分、第一八、一九回公判調書中証人西村永治郎の供述部分、第二〇、二一回公判調書中証人田中総之助の供述部分、第二三回公判調書中証人加賀屋光也の供述部分、第二四回公判調書中証人花岡恭三の供述部分、証人井谷瑛、同松本光夫、同中島宏に対する受命裁判官の各尋問調書、荻窪税務署長作成の証明書二通(検甲一、二号)、大蔵事務官作成の脱税額計算書二通、梅木安義の大蔵事務官に対する質問てん末書(検甲第五号)茶谷津奈男作成の確認書五通(検甲六ないし八、二二、五九号、但し検甲六ないし八、五九号は添付書面のみ。)寺石昭二作成の確認書二通(検甲九、十九号)、西村永治郎作成の確認書二通(検甲一〇、六〇号、但しいずれも添付書面のみ)松尾友博作成の確認書(検甲一一号、但し添付書面のみ)田北弘志、花岡恭三、石黒真一、井谷瑛、中島宏、松本久徳、土屋久夫、八町昭八郎、田中久雄(二通、検甲二一、六五号)八木進作成の各確認書、大蔵事務官作成の調書てん末書二六通(検甲二五号ないし四九号七〇号)、寺石昭二作成の供述書(検甲五〇号、但し添付書面のみ。)濱靖夫の大蔵事務官に対する調査てん末書、押収してある決算関係書類一綴(昭和四五年押第一三二号の一)、顧客勘定元帳一綴(同号の二)同九綴(同号の三)、信用取引顧客原簿一冊(同号の四)同四冊(同号の五)、顧客勘定元帳一一綴(同号の六)、取引伝票六八綴(同号の二五)によつて優に認めることができる。

三  然しながら、約九年間にわたる本件審理の顛末を顧ると、被告人は捜査段階から公判半ばに至る間においては一貫して本件公訴にかかる有価証券取引(以下本件取引という。)がすべて被告人に帰属するものであることを認めたうえで、唯、被告人の経歴にかんがみ証券取引業界の誤解を招くことを避けるため親族など他人名義で取引し銀行預金口座を設けたにとどまり、逋脱の犯意は全くなかつた。有価証券の譲渡による所得は非課税とされている原則を信じておりその例外のあることを知らなかつた、と弁明するのみであつた。ところが本件審理の半ばに及んで、本件各取引中被告人本人名義たる正村孝司(孝至、孝各名義を含む。以下同じ。)以外の取引(以下単に仮名分という)はもとより、正村孝司名義の取引の一部さえも立石電機代表取締役立石一真に帰属するものであつて、自己に帰属するものではない旨供述するに至つた。当裁判所は右被告人の新しい主張に副う供述は必らずしもその全部が事の真相を物語るものとして全面的に措信するわけではないけれども、以下検討するとおり、本件取引中少なくとも前示仮名分については右立石一真の資金による取引と窺がえる可能性がむしろ高く、検察官主張のように同取引分について被告人個人の所得に帰する取引であると断じうる丈の証明が十分とはいえないとの結論に達し、従つて、仮に、被告人本人名義の取引による所得が全べて被告人に帰属するとしても、被告人本人名義の取引のみでは後記のとおり計数上施行令二六条二項所定の課税要件に達しないことになるので、結局本件各公訴事実につき、犯罪の証明がないことに帰するものと認定した。すなわち、

(一)  先ず、本件取引を開始するに至つた経緯と本件取引の帰属について、被告人と立石一真との捜査段階から公判終盤に至る間の各供述の推移変遷を辿ると、一方において被告人は、捜査段階において、概ね、「本件株式取引の財源として、昭和三九年末当時、財産として立石株四万五〇〇〇株から五万株、一株当り時価二一〇円位、現金預金約二〇〇万から三〇〇万円を有していてこれを元手に本件取引を開始したが、信用取引では保証金の三倍まで取引が出来るのでそれを利用することにより取引額を増やし、それに銀行借入金を加えて除々に取引量を増やしていつた」、「私(被告人)は立石電機財務部次長としてその内部事情に詳しい立場にあつたため立石株の上り下りの情報を事前に把握することができ、このことから二年間という短期間に多額の利益を得ることができたものであり他から資金援助を受けたものではない」「私(被告人)は立石電機財務部次長当時立石一真から同人及びその一族の財産運用を任され、そのために株式の売買をしたこともあるが、これらの結果や現金の授受、記録等はすべて立石電機の鈴木財務課長を通じてかつ立石一真本名で行い仮名取引は一切なく、かつこれ以外に立石一真の個人財産を運用していたようなことはない」

また、「私(被告人)は立石一族以外の第三者からも頼まれて仮名取引で株式売買したこともあり、この数は約一〇〇名内外にのぼるが、自已に帰属する取引と第三者に帰属する取引とを区別するため、自己に帰属する取引については原則として自分の親族の名義を用いており、本件仮名の内、堀江香代は被告人の妻、石田美代は妻の姉、正村芳昭(義昭)、正村芳訓はいずれも被告人の甥、堀江喜久雄は妻の父、堀江喜美(キミ)は妻の母、山岸和雄は叔父の各名前であるが例外的に自己に帰属する取引について親族以外の名義を用いたこともあり、山北弘、木下享は親族の名前ではないが、その取引は自己に帰属するものに間違いない」旨述べるとともにその資金、取引態様、借入金の明細等についても極めて詳細具体的に述べ他方立石一真も捜査段階において、被告人の右供述に沿う供述をなし、概ね、「正村君は会社で財務部次長という役職におりましたが、会社の業況も良く、銀行の交渉も強いてする必要もなかつたものですから、仕事のかたわら私個人の立石電機の株式の運用をまかせておりました。(中略)私個人及び一族の株式の事務的管理を松岡財務主任に、また預金、現金及び松岡主任が管理しているものの出納を鈴木財務課長に任せております。正村君は松岡君が管理している個人関係の株式を運用して貰うようにまかせておりました」「正村が財務部次長当時特に京都に来てからは、安定株主工作や私個人の株式の運用をしてもらいました」「私個人の株式の運用については立石電機の財務の方で詳細を把握していましたし、関連会社については各会社において把握していましたのでいずれも正当な経理がなされており、裏の経理というようなものはありません。正村がその在職当時正村個人の株式運用をし或は第三者から頼まれた上で株式運用をしていたということは全然知りませんでした。」旨述べていた。然るところ、被告人は起訴後約六年を経過した昭和五一年九月七日の第二五回公判以降、従前の供述を飜えし、概ね以下のような主張をするに至つた。

すなわち、立石一真は従前昭和二八年のスターリンショック前に友人に勧められて若干の株式売買をしたことがあつたが、右ショックによる暴落もあつてそのまま放置していたところ、外務員として来訪した被告人が強力に株式売買を勧誘した結果、右放置していた古株を整理することになり、それによつて取得した三~四〇〇万円を資金として有価証券の売買をするようになつた。そして昭和三五年ころからは資金の運用を全く被告人に一任するようになり、昭和三八年初、被告人が山一証券本店の外国部外資課長代理となり京都を離れるときには右資金は運用により約一、〇〇〇ないし一、五〇〇万円になつていたが、立石一真はその資金をいつたん清算したのち、そのまま被告人に預け、主として東京において立石電機の株価安定操作をするよう依頼した。その後昭和三九年末被告人が立石電機入社後も右資金の運用は続き、株価安定、株主安定等のため使われていたが立石一真からは一度も清算の要求はなく、本件査察着手の昭和四三年九月に至るまで右資金による有価証券取引は続けられた。そして本件取引の内正村孝司を除くその他の仮名取引はすべて立石一真より預けられていた右資金による売買であるから立石一真による帰属すべき取引であり、被告人が捜査段階において前記のような内容の供述をしたのは、立石一真には株式を金融機関に売却した収入だけでも昭和四一年には約二億円、四二年には約八億円を超える収入があつて、もし本件取引が立石一真のものとされると巨額の税金が追徴されることになり、又、立石電機株式会社も非難の矢面に立たされる恐れがあつて、立石一真や当時の立石電機常務田中謙三から、会社や社長に迷惑がかからないようにしてほしいと強く要請され、又被告人自身当時(昭和四二年末以降)の生活をその頃被告人が設立した経営コンサルタント会社株式会社東京財務管理研究所(以下東京財管という。)の経営でなしていたところ、その顧客は立石電機の子会社である前記のオムロ産業外四仕が主だつたものであつたので、この要請を拒みきれなかつたものであり、公判後も右のような事情から、捜査当時からの供述を墨守したものであるが、時間の経過と被告人の家庭の事情により、刑事責任を負うことの不合理性を悟るとともに弁護人の説得を受け真実を述べるに至つたというのである。そして立石一真の供述も第三一、三二回公判において前示捜査段階におけるそれとは異る微妙な変貌を逐げて、概ね被告人の右公判段階における供述に沿う供述をなすに至つた。

(二)  ところで、これら被告人及び立石一真の公判廷における新しい供述は、以下検討するとおり必ずしも正確でない一面があり、全面的に事の真相を物語るとはいえないとしても、その内容は具体的であり、何故捜査段階では前記のような内容の供述をし、何故それをこの段階で覆すに至つたのかの事情についても一応了解し得る理由を詳細に述べ、殊に右立石一真の公判廷における供述は同人の社会的経済的信用等の点からみて不利益な内容となるものであつて、それが虚偽と断ずるに足りる明確な証拠は存しないのであつて、それ自体一応の合理性が存すると認められるのみならず、以下のような被告人と立石一真との密接な信頼関係、本件取引の規模、態様より生ずる疑問、当時の立石電機のおかれていた社会的経済的背景事情に照らすと、被告人及び立石一真の新供述が起訴後六年を経てはじめてなされたものであることや、裏付けに乏しい面があり正確でないからといつて一概に却け得ないものがあるといわざるを得ない。すなわち、前掲被告人の各供述調書、立石一真の検察官に対する供述調書、大蔵事務官作成の同人に対する質問てん末書(二通)、被告人の供述書(第一回)によると、被告人は昭和二九年大学卒業と同時に山一証券株式会社に入社し、同年京都支店に配属になり、昭和三二、三年ころから外務員として立石電機に出入りするようになつて立石一真の知遇を得るようになつたこと、そして昭和三六年同社が未だ非上場当時、研究所設立のため一〇万株の私募増資をした際、引受け手のなかつた一万五〇〇〇株を被告人が個人的に引受け増資を完了させたのをきつかけに同社内での被告人の信望が篤くなり、更に翌三七年の同社の京都市場及び大阪二部市場上場についても被告人が中心的な役割を果し、この外立石電機以外の京都の中堅企業数社の上場にも被告人が関与し成功させたので立石一真は被告人の力量を高く評価し、昭和三九年末被告人を立石電機に迎えたこと、そして同四〇年三月被告人に財務部次長のポストを与え、同社の資金調達、株式関係の仕事に従事させると共に、立石一真及びその一族の個人資産の運用にもあたらせた外、関連会社であるオムロ産業株式会社、合同産業株式会社、鳴滝産業株式会社、京花産業株式会社、立東産業株式会社の各役員にも充て、これら会社の実質的な財務運営をまかせ全幅の信頼を置いていたこと、昭和四二年一二月に被告人は立石電機を退職し、前記東京財管を設立して独立することになつたが、翌四三年九月迄は引続き前記オムロ産業外四社の役員としてその経営にあたり立石一真との関係は継続していたが、同月被告人が査察を受けたために被告人は右五社の取締役を辞任したこと等の諸事実が認められ、このような信頼関係にあつた一方の立石一真は自ら財務にくらい技術屋であるという自覚と恬淡な性格から委細構うことなくよきにはからえとばかりに一任し他方被告人は知遇と信頼に応えて犀利且俊敏な理材の手腕と力倆とを立石一真とその一族のために傾注して本件取引に当つたと窺われることはまことに自然の成行で右被告人と立石一真との関係からすれば、立石一真の資金によつて本件取引の大部分がなされたとしても、それ自体何んら不自然さがないのみならず、検甲五〇号証添付の取引回数表(第七回公判調書中証人寺石昭二の供述部分末尾添付のもの)によると本件取引中和光証券京都支店分だけに限つてみても、被告人は昭和四一年から四二年(特にその前半期)にかけて連日のように、立石電機、日本新楽、平和不動産、日本電池等多種多様の株を概ね万株単位で多いときには一〇万株以上、金額にすると一回数百万円から多いときには数千万円にものぼる取引を昭和四一年中には二〇五回、昭和四二年中には八五回もなしていることが認められ、このような大規模な取引をいかに信用取引の率が高く、被告人が以前証券会社に勤めていて株に詳しいとはいえ、一介の社員として個人的資金でなし得たものかどうか、むしろ疑わしいというべきである。(因みに前記回数表によると、被告人は昭和四二年四月五日立石株を現物で一八万三〇〇〇株、信用で四七万七〇〇〇株を売却していることが認められるが、事前にこれだけの株数を買集めておくには相当巨額の資金が必要であつたと思われるが、この財源についても明らかとなつていない。)しかも、第一五回公判調書中証人榊原義雄の供述部分、大蔵事務官作成の同人に対する質問てん末書(検甲七四号)の一部、第一六回公判調書中の証人梅木安義の供述部分、大蔵事務官作成の同人に対する質問てん末書(検甲五号)、第二〇、二一回公判調書中証人田中総之助の供述部分によれば、(これら和光証券京都支店に比べれば注文回数のはるかに少ない)山一証券京都支店、山一証券大阪支店、萬成証券においても、その注文は概ね万株単位であり、金額も莫大で多いときには一回で六、〇〇〇万円にものぼる現金を被告人に渡したことがあつたこと、そして取引の決済は往々被告人の勤務している立石電機の応接室で行われ、しかも本件取引の殆んどは電話による注文でなされているところ、被告人の財務部次長の席は田中謙三常務と同室内にあつたこと、そしてこれら証券会社の担当者達も右のような取引の規模、金額、決済態様よりして本件取引が被告人個人のものであることについては多分に疑問を抱いていたこと等の各事実が認められるのであつて、一層右疑問を強くし、むしろ、当公判廷における被告人の供述、第二七ないし二九、三三、三五回公判調書中被告人の供述部分、被告人の供述書(第一ないし七回)、当公判廷における証人立石一真の供述、第三一、三二回公判調書中の証人立石一真の供述部分を総合すると、被告人が立石電機入社当時、同社をとりまく情勢として、資本自由化による外資の株式買占めの危険が叫ばれ、同社としても乗つ取り防止のため株価の高値安定を図る必要があるとともに株主安定工作の必要があつたが、安定株主工作のため立石一族の株式を銀行等金融機関に売却する場合先に市場で株を買い集めておかないと、後からまとまつた株数を銀行への売値以下で買うことは不可能な状況にあつたこと、一方大株主である立石一族にとつても株式配当によつて得られた配当株を売却し、それによつて得た金で増資払込金などに用いた借入金を返済するというやり方をとつていた関係上株価の高値安定が望ましかつたこと、そして昭和四〇年から四一年にかけて同社は東京市場一部上場申請をしたものの上場基準に達していないとして却下され同社としては、株主数を三、〇〇〇人以上とし、又株主分布の偏在を是正する工作をする一方、売買出来高を増やし会社の知名度を高める必要があつたが、これらの仕事を被告人が担当していたこと等の各事実が認められるところから、被告人が右各目的達成のため立石一真から依頼され、預けられた資金を用いて本件仮名取引をなしたと認める余地は充分にあり、右背景事情に照らしても被告人の新主張はこれを首肯するに足る合理性があることは否定できない。

なお、被告人及び弁護人は、本件に関し、立石一真の側より納税資金として合計二億四、〇〇〇万円が送付されている旨主張を裏付けるかのように前掲の被告人の供述書(第一回)、押収してある総勘定元帳(鳴滝産業)二冊(昭和四五年押第一三二号の一二、一三)、同(合同産業)一級(同号の一四)、同八冊(東京財管(同号の一五ないし二二))、同(正宏商事)一冊(同号の二四)によれば、昭和四三年一〇月二日、立石一真から鳴滝産業を経て東京財管に二億円が貸付けられ、又昭和四五年三月一三日に鳴滝産業、合同産業から東京財管に各二、〇〇〇万円計四、〇〇〇万円が各貸付けられていること、そして右総計二億四、〇〇〇万円の東京財管の債務につき立石一真が免責的債務引受をしていること、が各認められる。然し、右資金は、その送付された時期が更正決定より遙か以前であまりに早く、金額もその時点で実際に納税に必要と見込まれた額より遙かに多いばかりでなく、その後の同資金の流れ等からみて、右資金全部が主張のような納税資金であつたとは到底認め難いが、反面その一部が納税に充てられた可能性も一概に否定できないところであつて、本件取引の内大部分が立石一真に帰属するものであつたことを窺わせる一つの機縁でもあろう。

(三)  尤も、前掲各証拠によれば、本件の取引によつて得た利益は、その都度帳簿等に記帳せず、実名又は架空名義或は無記名の定期預金、有価証券などにし、これらの定期預金、有価証券などは何時でも被告人の自由意思により処分し得る状況に置いていたこと、被告人は個々の取引、借入金等についてその都度立石一真、田中謙三の指示を仰ぎ、承認を得ていたというが、何らその点についての物証が提出されていないこと、被告人は昭和四二年四月頃から株式売買を縮少し、立石株を含めて手持株の殆んどを売却し、国債に代えているが、右重要な事実につき立石一真はその点については記憶がないと供述していること、被告人は査察着手の日のすぐ翌日である昭和四三年九月二〇日荻窪税務署に対し、正村孝司、堀江喜美、石田美代、正村芳昭、堀江香代名義分の取引につき、自己に帰属する取引であるとして、昭和四一年分所得を二五〇五万二九七五円、昭和四二年分所得を一億二五八七万一三〇二円とした修正申告書を早速提出し、しかも、右修正申告に伴う納税費用の内、一部は家族名義の零細な預金を糾合し、或は絵画等一八点の個人財産を売却して捻出し、昭和四四年九月一日付でなされた更正及び重加算税賦課決定に対しては自発的に修正申告したことを理由に、同月二四日付で異議申立をしていることが認められる。このような情況及び所為は一方において本件取引の全部或いは少くとも、修正申告した五名分の取引が被告人に帰属するのではないかと思わしめる資料ではあるが他方において被告人が立石一真から全幅の信頼を寄せられて資金を預けられ、その一任的な運用を任されていたことの表われで、修正申告の点もそのような一任的な運用を任されていたのに査察を受けるに至つたことにつき責任を感じ、一時的にせよ、立石一真から頼まれ或いは自発的に修正申告し、内一部を個人財産で立替えておくことにしたことの結果であるとの可能性も否定できない。又立石一真らの指示、承認の点について物証がないというのも、被告人が同人の身代りになる積りでいたということが真実であるならば、かような証拠が現在存在しないというのもむしろ当然というべきである。

(四)  又、前掲大蔵事務官作成の調査てん末書(検甲第二六号)、被告人の供述書(第四回)、第三五回公判調書中被告人の供述部分によれば、被告人は昭和四〇年一二月二八日、大阪証券代行株式会社から正村孝司名義で一、五〇〇万円を借り入れ、同月二七日付で和光証券京都支店において正村孝司名義で立石電機株五万四、〇〇〇株を購入し、その後右五万四、〇〇〇株の売却利益一一一万円強を堀江香代名義の口座へ入金していること、昭和四一年二月一一日、和光証券京都支店において堀江香代名義の現物取引から一、六〇四万五、一三一円、同名義信用取引保証金から一三万四、五三三円合計一、六一七万九、六六四円を引出し、その内一、一一〇万一、四〇〇円を同日付で同支店の正村孝司名義の現物取引の預け金に入金し、同月一日に正村孝司名義で買付けた立石株の買付代金に充当していること、昭和四二年五月二六日西村証券において、正村孝司名義現物で日本電池株一万株を、同月二六日及び二七日萬成証券で山岸和雄名義現物で同株計一万七、〇〇〇株を各買付けたが、これらの支払をいずれも同月二七日住友信託銀行浅田伸一名義借人金一、三〇〇万円、田辺博名義借入金九〇〇万円、綾部大作名義借入金八六〇万円の内から充当していること、更に右のように買付けた日本電池株合計二万七、〇〇〇株と同月二四日、二五日に萬成証券で山岸和雄名義で買付けた同株三五万五、〇〇〇株の内の二万六、〇〇〇株との合計五万三、〇〇〇株を、同年六月九日、一〇日和光証券京都支店において正村孝司名義で売却していること、すなわち被告人は同一資金によつて正村孝司、山岸和雄の両名義を使用して日本電池株を買付け、しかも山岸和雄名義で買付けた株を正村孝司名義で売却していること等の各事実が認められ、従つて、被告人本人名義と堀江香代、山岸和雄名義との間に資金交流があり、被告人本人名義の一部及び仮名取引は全て立石一真の取引に属するという被告人の前記新供述は信用出来ないのではないかと疑い得ないことではない。然しながら、被告人はこの点について、立石一真の資金による売買ではあるが、当時立石株を推奨販売していた和光証券京都支店長乾保雄の要請により正村の名を出すことにより取引の活況を狙つたものがあり、その結果が前記の名義交流となつている旨弁解し、証人乾保雄も第三〇回公判において「一投資家が買うというよりも正村氏が買うということになると一つの相場ができて、店の中でも、正村がこれだけ買つているということが各支店へ電話でぱつと流れるわけです。そういうことから正村氏個人の名前で買つてもらいたいというようなことをお願いしたことはあると思います。」旨の供述をしているところであつて、これを一概に虚偽と断じ去るに足る証拠は見出し難いうえ、大蔵事務官作成の調査てん末書(検甲第七〇号)によると、被告人は本件公訴に係る各名義取引につき本名仮名併せて昭和四一年中は二六〇回、四二年中は一〇四回行つていることが認められるところ、その内本名取引と仮名取引との資金交流が認められるのが、右に述べた数回の取引にとどまつているということは逆に仮名取引と本名取引との経理を明確に区別していたとの被告人の弁解を十分成り立たしめ得る余地を残しているのであり、結局右資金交流の事実も本件仮名取引が被告人に帰属することのきめ手にはならないという他ない。

(五)  ところで更に、前掲大蔵事務官作成の調査てん末書(検甲二五号)によれば、別表一に示すとおり、被告人が昭和四〇年ないし四二年の間に本名及び仮名で売買した立石電機株、日本電池株、日本新薬株について、立石株については二万七七五二株の本名購入分を仮名で売却し、日本電池株については四万三〇〇〇株の仮名購入分を本名で売却し、日本新薬株については三〇〇〇株の本名購人分を仮名で売却していて本名取引と仮名取引との間に数量的混同が認められる。然るところ、被告人はこの点について、右混同の結果は、景気づけのため本来仮名取引に属すべき取引に被告人の名義及び口座を貸与したことによるとの前同様の弁解をしており、弁解を虚偽と断ずるに足る特段の証拠もないうえ同別表によると、被告人の前記株の昭和四〇ないし四二年の取引数量は、立石電機株売買計二四四万一〇八八株、日本電池株同二三六万二五〇〇株、日本新薬株同九万七二〇〇株という大量のものであるところ、その内本名取引と仮名取引の数量的混同が認められるのが前記程度のものであつてみれば、被告人の弁解を容れる余地は十分存するのであり、右数量的混同の事実も未だ本件仮名取引が被告人に帰属することのきめ手となるまでには至らない。以上のとおりであつて、本件取引の帰属について、捜査段階における被告人の自供及びそれに沿う立石一真の供述が存するが、これに相反する公判段階における被告人の前示供述及びこれに沿う立石一真の公判廷における供述も存し、これに相当の真実性を否定出来ない以上、少なくとも本件取引中、仮名部分についてそれが被告人に帰属する取引であると断定することは出来ない故である。

四  尚検察官は、仮に、本件取引中、仮名使用分は立石一真の提供した資金を運用したものであるとしても、立石一真はその資金を提供するに当り、株式売買の結果利得があり、それが課税要件に達するならば、申告の上納税すべき地位をも含めて一切を被告人に委せ(納税義務の転換)、被告人は右地位に基づき本件取引をなしたものであるから本件取引についての納税義務者は被告人であるとみるべきであると主張する。

然しながら、前掲の立石一真の証言や第三一、三二回公判調書中の同人の供述部分によれば、なるほど立石一真は資金を被告人に預け、昭和四〇年被告人が立石電機入社以降はそれを同社の株価操作や株主安定工作に用いるよう依頼し、その運用の結果、利益については殆んど関心がなく、その一切の運用を被告人に任せ、殆んど被告人に提出したつもりで同人の所得申告にも考慮に入れていなかつたことが認められるものの、その資金及び本件取引による利益を明確に被告人に贈与したと認められるような証拠はないし、検察官主張のような、課税要件に達するならば申告の上納税すべき地位をも含めて一切を被告人に任せたということを認めるに足る証拠もない。そもそも納税義務とは税法の定める課税要件の充足によつて、法律上当然に発生する義務であつて、所得税の場合は原則として課税物件たる所得の帰属者がこれに該るものであり、これを私人間の合意で勝手に変更し得る性格のものでもなければ検察官指摘の如き或情況から転換されるに至るものでもないことは自明である。従つて検察官の右主張は失当であり、採用の限りでないといわなければならない。

五  結論

以上、本件取引がすべて被告人に帰属する取引であると認め得る有力な証拠も存するが、なお少なくとも仮名分については立石一真の資金による取引であるとの認定の余地も残されているところであり、この点について合理的疑いが存する以上、未だ本件取引中少なくとも、仮名分については検察官主張のように被告人の個人取引であるとの証明が十分尽されていないことに帰する。そして、被告人は正村孝司名義の取引であつても立石一真の資金によるものが若干ある旨弁解しているところであるが、仮にすべてが被告人のものとしても、前掲各証拠によると被告人本人名義取引は別表二のとおり昭和四一年中二一回、昭和四二年中一七回、(なお、取引回数は、証券会社担当者の供述によつて計算した場合のそれによる。)にとどまり、いずれにせよ課税要件に達しないことが明らかである。よつて本件は結局のところ犯罪の証明が不十分という他なく、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。

よつて注文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 深谷真也 裁判官 山田賢 裁判官 豊田建夫)

別表一 数量的混同についての表

1 立石株について

<省略>

2 日本電池株について

<省略>

3 日本新薬株について

<省略>

別表二 被告人本人名義分取引一覧表

昭和41年分

<省略>

<省略>

昭和42年分

<省略>

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